フィリピン製造業発展戦略 ―オランダ病を超えて―

(3)高い教育水準
 フィリピンへの直接投資が少ないのは、教育水準が低いからではない。反証の余地を封じておきたい。発展途上国の製造業発展の最重要な要因は、対内直接投資であろう。直接投資はHuman capital(人的資本)の蓄積の厚い国に来る。フィリピンの製造業の未発達はここに原因があるわけではない。

 表9に示すように、フィリピンの教育水準は比較的高い。高等教育は中国、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーより高い。タイよりは低い。上級中等教育(高校)はカンボジア、ラオス、ミャンマーより高い。中国、タイ、インドネシアよりもわずかに高い。教育水準は、概していえば、マレーシア、インドネシアと同水準である。加えて、英語能力は一番高い。彼らが製造業発展できるのに、フィリピンは何故できないのか。製造業の未発展の理由は労働力要因ではないことは明らかである。
 
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(4)割高な為替レートは60年代の輸入代替発展戦略の失敗に相似
 筆者の仮説である、通貨ペソの割高な為替相場が経済発展の足を引っ張っていると考えたとき、筆者は1960年代の「輸入代替工業化戦略」の失敗を思い出す。輸入品を国産化することで工業化を図ったが、部品や設備を日本等からの輸入に依存していたため、部品・原材料を安く入手するため割高な為替レートを設定した。その結果、今度は輸出が打撃を受け、国際収支が赤字になり、経済が悪化し、80年代は「アジアの病人」と揶揄されるようになった(もちろん、輸入工業化戦略は輸入抑制が大前提であり、その失敗は割高な為替レート以外の要因もある)。(注)

(注)第2次大戦の直後、フィリピンはアジアの「先進国」と言われた。戦前は米国の植民地下で議会制民主主義の導入があり、またプランテーション方式の商業的農業(輸出向け)が発達し富を蓄積したので、1950年代は日本より所得水準が高かった。しかし、発展戦略の失敗(輸入代替工業化戦略)、それに続くマルコス政権の腐敗で経済が停滞し、80年代は「アジアの病人」と揶揄された。

 
 「アジアの先進国」から、「アジアの病人」へ急転落である。表1の下段に示すように、1960年代~80年代の1人当たり実質GDPの伸び率は小さい。しかし、90年代中葉から、再び高成長が始まった。ラモス政権(1992~98年)の時代に市場活用型の経済政策に転換し、外資導入や民営化が経済成長を創り出した。(拙著『走るアジア遅れる日本』第6章、日本評論社2001年参照)。

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