☆ビジネス・レポート第五十三号☆

―「西郷札(さいごうさつ)」と「日銀券ルール」―

 松本清張氏の初期短編集の一つに、「西郷札(さいごうさつ)」の傑作がある。西郷札とは、明治10年の西南戦争当時、敗走する西郷軍が現在の宮崎市近郊(現・砂土原町)で発行したとされる軍票であるが、貨幣や紙幣の仕組み、及び強制通用力のことなどを考える上で、非常に良い「教材」、と言えよう。
 まず、貨幣や紙幣の成り立ちを考えてみたい。貨幣として「貝殻(宝貝)」が使われていた太古の昔に続いて、金や銀が貨幣として使われるようになった。「金は誰の債務でもない」という格言が示すように、金(銀)は、それ自体が究極の価値を持つものである。そのような金(銀)が鋳造されて金貨(銀貨)となり、他のモノとの交換に使われたわけであるが、金貨(銀貨)自体が価値を持つものなので、それはレッキとした「物々交換」であったと言えよう。しかしながら、金貨などの金属貨幣では持ち運びなども含め、不自由極まりないことから、やがて「紙幣」が登場した。ではなぜ、所詮は紙切れに過ぎない紙幣が交換手段として使うことが可能であったか。また、強制通用力を持ち得たのか。それは、発行された紙幣が金(銀)の代替物であり、その紙幣を発行者のところに持ちこんだら、いつでも金(銀)の実物に代えてあげる、との保証付きだったからである。これが「兌換紙幣」である。このように、兌換紙幣とは金(銀)の裏付けのもとに発行されていたものである。
 しかしながら、さらに時代が下って経済活動もさらに活発になると、金(銀)の保有量と比べて、貨幣の必要量が大きく上回るようになる。そこで登場したのが、金との交換の保証(金の裏付け)なしに発行される「不換紙幣」である。金との交換保証がなく、受取人(保有者)の立場からすると不安で一杯のはずの不換紙幣を発行し、流通させることのできる人は、どのような人か。それは、絶対的な権力を持つ人(例えば、国王)であったに違いない。その「権限(オーソリティー)」と「鶴の一声」を背景に、権力者は不換紙幣に強制通用力を持たせることができたのである。こうして権力者は、金との裏付けなしに、すなわちタダ同然で一定の額面の紙幣を発行し、自らもそれで買い物ができたのだから、紙幣の印刷代を除くと、「丸儲け」である。このようにして、不換紙幣の発行者が獲得できる額面と発行費用(額面と比べるとごく僅か)との差額を、「シニョレッジ」(通貨発行益)と称した。シニョレッジなどと言うと、大層難しそうに聞こえるが、中世ヨーロッパの領主を意味した「シニョール」から派生した言葉である、と聞くと、「なるほど」と納得できそうである。
 そこで、「西郷札」である。西郷札も不換紙幣であることは間違いないが、中世の領主(シニョール)よりもはるかに怪しげな権限のもとに紙幣を発行し、流通させたものである。ある史料によると総額では14万円相当の西郷札が流通したそうであるが、しかしその実態は、「流通」どころではなかったに違いない。すなわち、例えば「10円札」の西郷札の場合、西郷軍が商人(米などの売り手)を刀で脅して、「10円札」と書かれた「きつねのお札」を強制的に引き受けさせ、10円分の米を「買った」だけ、と言えよう。この商人が、仮にこの「10円札」を日銀(当時の)に持参したとしても、金に交換して貰えるどころか、賊軍(西郷軍)に協力したカドで逮捕されたかもしれないのである。
 翻って、現在の日本銀行が発行している「1万円札」の日銀券を考えてみたい。日銀券もドル札などと同様に不換紙幣である。それなのに、私たちは西郷札と違って日銀券には全幅の信頼を寄せており、日銀券を使うに当たって何ひとつ不安も不自由さもない。それは一つには、法律(日銀法第46条)に「銀行券は法貨として無制限に通用する」と書いてあるからだが、法律以前の問題として、私たち国民が日本銀行(さらにはそのバックにいる日本国政府)に究極の信頼を寄せているからであろう。日銀のバランスシート上で、日銀券の発行残高は「負債」に計上されている。日銀は金や銀の裏付けなしに日銀券を発行できるのだから、負債に計上する必要がないようにも見えるが、日銀はHP上で、日銀が信認を確保しなければならない「債務証書」的な性格があることから債務に計上している、と説明している。
 そして、これに関連するのが「日銀券ルール」である。日銀券ルールとは、無制限の長期国債の購入により日銀の信認を阻害しないために、日銀バランスシート上で、「長期国債保有高を銀行券の発行残高以内に抑えるべき」とするもので、日銀自身が2001年3月の金融政策決定会合で決めたものだ。しかしながら近年、このルールの「逸脱」が見られる。例えば、本年10月末の日銀のバランスシートを見ると、長期国債保有残高が86.1兆円である一方、銀行券発行残高が81.3兆円であり、「ルール逸脱」である。だが、これは近年の量的緩和策の一環としての「特別措置」によるものである。すなわち、日銀は2010年10月に「包括緩和」策の一つとして日銀のバランスシート上に「資産買入れ基金」を創設し、同基金を通じて長期国債を含む多彩な金融資産を買入れすることを決めたが、「それによる長期国債の保有高は『銀行券ルール』の対象外とする」ことも、包括緩和の一環として決めた。そこで、本年10月末で見ると、買入れ基金分の長期国債保有高(20.9兆円)を除いてみると、銀行券ルールがなお遵守されていることがうかがえる(日銀の「営業毎旬報告」(2012年10月31日現在)より)。
 上記のような量的緩和に走っているのは、日銀だけではない。今日では、先進各国の中央銀行は全て、「量的緩和競争」に走っており、その結果、各国中銀のバランスシートが著しく膨らんでいる。そうした中で日本では、12月16日の総選挙を目前に控えた今、安倍自民党総裁より、「無制限緩和発言」が飛び出した。このような量的緩和の行き着く先はどこか。それは一歩間違えると、日銀券(ひいては日銀と政府)に対する信認の急落でありハイパーインフレである。ゼロ金利政策により利下げの余地をなくした現在、量的緩和以外には方策がないことは確かだろう。しかしながら、日銀を含む各国の中銀は、自国の紙幣を決して、「西郷札」にするわけにはいかないのである。

SBI大学院大学教授 野間修

 
このレポートは2012年12月6日に配信したものです。

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